診療室から

(1)しゃっくりを止める法(田中俊夫)

 先日、しゃっくりが止まらないという人が来ました。現役の日雇労働者なのですが、前の晩しゃっくりのために一晩中眠れず、頭がボーツとしてしまって仕事どころではないというのです。 その日の午前中も止まらず、薬局で漢方のくすりを買って飲んで止まらず、困り果てて来たのでした。 
しゃっくりというのは、横隔膜のけいれんです。皆さんもおぼえがあると思いますが、 水を飲んでみたり息こらえをしたり、深呼吸を持続したりして止まってしまうことが多いのです。
 今回の患者さんにも、まず深呼吸とそれに続く息止め(バルサルバ法=横隔膜の緊張の持続)を数回してもらいましたが止まりません。そこで、冷蔵庫の氷を出してきてガーゼでくるみ、 両眼におしつけてもらい、さらに耳にも氷をあて、片手で背中をドンドンと叩きました。3〜4分叩き続けたところでしゃっくりは止まりました。
背中を叩く時のコツは、しゃっくりに不意打ちをくらわせるつもりで、不規則に、時には連続して叩くことです。これらのことは一人ではできませんので、誰か他の人に手伝ってもらうことになります。 これでも止まらなければあとはくすりを使うことになります。
 今回はうまく止まりましたので、費用の方も診察料だけですみました。皆さんもしゃっくりがとまらないで困っている人がいたら、やってみて下さい。ちなみに患者さんからは、 “やっぱり医者だね”と生まれて初めていわれて、ちょっぴり嬉しかった。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第4号,1997年11月15日)

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(2)歩く人達(田中俊夫)

 精神科の患者さんの中には、夜間眠れず、おちつかずで、徘徊をする人が珍しくはないので、これ迄そういう話を聞いても、 “夜はねるようにしましょう”と云って、眠剤を調節するくらいで、 あまり気にも止めなかったのですが、ここに来て、寿町には“歩き魔”のようによく歩く人達が異様に多いことに気がつきました。
  昔から、“タコ部屋のような飯場からトンコ(逃げること)して、 3日がかりで歩いて寿へ帰って来た”というような話しは時々耳にしたものですが、それとも違って、又健康のためのwalking等というのでも全くなく、 ただ、歩くことが好きなために歩いているというしかないような人達が結構いるのです。 毎日桜木町迄歩く人とか、山下公園に1日に5回も歩いていく人(しかも足が悪いのに)とか、東京を出発して一国(第一国道)を南に歩いて来たら横浜へ来てしまった人とか色々います。
 少しは`“生活の為” という感じの“歩き”でも、“お金を拾おうと思つて一晩中下を向いて歩いていた。今迄に2回拾った。”とか、 “空き缶を1個2円で引きとってくれる所があって、タバコ銭を作る為に空き缶を拾って歩き、 遂にタバコを買ったとか”“上大岡迄歩いて残飯をもらいに行った”とか、ちょっと常識を超えたような歩く人達がいます。足の裏に大きな豆をいくつも作ったり、 掌蹠角化症のような堅い踵にひび割れを作りつつ、その人達はなお歩くのです。
  人間にとって“歩く”"とはいったい何なのでしょうか。“何かのために歩く”という歩き方ではなくて、“人間の本性としての歩き”というものがあって、 散歩もその一種かもしれませんが、寿町には、その本性によってすなおに、 ひたすらに歩く人達がいるのかなあ、と思ったりする今目此の頃です。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第6号,1998年10月31日)

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(3)「風邪」と「ことぶき」と「診療所」と(田中俊夫)

 今年の冬もA香港型ウイルスによるインフルエンザが流行しました。診療所にも、たくさんの患者さんがみえました。 ずっと以前、東京で開業している高校時代の友人と話していた時、 「開業医にはボーナスがないんだけど、風邪がはやるとそれがボーナスなんだよね」と笑って云っていたのを憶い出しました。
少し不謹慎な話しですけれど、毎年12月から2月にかけて患者さんが著しく増えるのは、 多くは風邪のせいだと思っています。
  今年は風邪を長びかせてしまう患者さんが多く、あらためて、ドヤで暮すことと風邪について考えてしまいました。 前々からわかっていることではあるのですが、 ドヤ暮しは風邪対策にとって不利なことが非常に多いです。
 まず第一に、寒いです。暖房がない。あるいは暖房器具を使ってはいけないドヤが多いです。
又ふとんは敷ぶとん、掛けぶとんのみが原則で、 シーツや毛布、下掛けのたぐいは自前でそろえなければならないのですが、もっていない人が多いです。 ふとんも干せませんから、発汗によってべしょべしょになってしまうこともあると考えられます。 加えて日の全く入らない部屋、風が通らない部屋が多いですから乾きようがないのです。
 次に部屋に手洗いがなく、共同の水場を使用しなければならないのですから、うがい、手洗い等に大変不便です。
 第三に風邪をひきにくくするビタミンCの摂取が、大部分の人において大変不足していることが予想されます。
その他下着が十分に変えられていない、体温計がない等、数えあげればきりがありません。
人がたくさん集まる福祉センターの娯楽室や生活館で時間をすごす人が多いことも感染源として考えられます。
  老人が増えている寿町で、毎年いったいどのくらいの人が、風邪をこじらせて入院したり、おなくなりになったりしているのかなあと考えると、気持ちが暗くなります。 「風邪特捜班」とか「風邪対策特別機動隊」とか、 そんなの出来ないかなあ等とつまらないこと考えています。
 風邪をひいた寿町の患者さんの、医師に対する態度は大変“従順”で、この点随分助かっています。
私は寿町以外のいわゆる一般地区でも外来で風邪の患者さんを診ることが結構あるのですが、しばしば患者さんの側から、「注射をしてください」とか、「抗生物質を出して下さい」と云われます。
風邪のウイルスに抗生物質は効きませんと云っても、熱もないし注射は必要ないと思います、とお話ししても、なかなか納得してもらえず、不信感を買うよりは、とやってやってしまうこともあります。 注射信仰、抗生物質信仰は、大変根強いです。寿の患者さんからそのようなことを要求されることは、皆無に近いでしょう。
  当所では抗生物質ではなく、今年から塩酸アマンタジンを使用しましたが、 噂通り、かなり効く、という印象でした。
寿の患者さんのこうした医療側に対する従順さは、誤った信仰に毒されていないという点ではいいのですが、一方では多くの不利益をも受けていると予想されます。 その最大のものが、過剰医療による被害だと私は考えているのですが、それについてはいつか書いてみたいと思います。
 インフルエンザの流行は、たかが“風邪”ですが、寿の保健衛生に、 根っ子の所で深くかかわっているように思います。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第7号,1999年5月25日)

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(4)精神科救急医療について(田中俊夫)

 先日、木曜日の午後6時頃、まず福祉事務所のYくんから電話が入り、しばらくしてY君、S君、K君に付きそわれて、Wさんが診療所に来ました。  それから約1時間半、職員にも全員残ってもらい、みんなで力を合わせての救急医療が行われるのですが、事の顛末は次のようなものでした。
 まず5時すぎ、Wさんの宿泊しているドヤの帳場さんから福祉事務所のY君の所に電話が入り、“Wさんが自分で自分の首を締めている”という連絡がありました。 Y君は、Wさんの普段通院しているKクリニックが当日休診であることを確かめ、当所での受診の可否を電話で確認してきたわけです。  その上で同僚のS君、K君の応援を頼み、現場に急行して、Wさんを3人で介助しながら、午後6瞭頃診療所に連れてきたわけです。
話しによるとWさんは、タオルで自分の首をきつく締めていたとのことです。
 診療所に来たWさんは、始めは一応問診に耐えうる状態でした。 ただ、きつく首をしめたせいか、首前面こ多少の擦過傷があり、頭部全体が赤黒くうっ血し、 両耳内部から出血して、血が流れ出していました。
全身は小刻みに震え、体の動きはぎこちなく、ボーッとしている感じで、絶えずキョロキョロとして、おちつきのない様子でした。  自分のしたことは分かっていて、“何故首なんか締めたの”と云う問いに、「イライラしてやってしまった」と答えていました。
 直ちに業界用語でいう三混(セレネース、アキネトン、ヒルナミンの混注)をすぐ筋注しました。
Y君には、これをうつと眠くなると思う(ちなみに患者さんは、 2晩全く寝ていないと云っていました)、眠ってしまってもいいか、送っていってくれるか、という話しをし、了解してもらいました。 ところがこの患者さんは、三混をうってもおちつかず、 応答は不鮮明になりながらも、むしろチョコチョコと動きまわるという風でした。
 この患者さんの場合判断がむずかしかったのは、明日は必ず入院させる必要があるということと、 誰かが今晩付き添っていられるわけではないということ、緊張が強くて錠剤を嚥下出来そうにないこと、飛び込みの患者さんなので病態がよく分からない等でした。 
あまり強く眠らせてしまうと明日困るだろうという思いと、眠ってもらわないと本人も辛いだろうし、まわりも困るということでした。
  緕局セレネースを追加筋注した後、本人の動きが次第におさまり、Y君の肩にもたれかかって眠り始めたので、その後しばらく電気を消して安静睡眠を確かめ、 車椅子に移してY君達にドヤ迄送ってもらい、帳場さんに引き継いで様子をみてもらうことにして一段落となりました。
 この件について思うことが2つあります。 1つは、いつものことながら、中福祉事務所のケースワーカーはよくやるなあ、という感想です。  時間外をいとわないのは勿論、担当ケースワーカー以外の職員達も協カして、問題解決迄頑張ってくれる、それも上司の指示ということではなしに自発的にやっている。
又、ドヤの帳場さんとの信頼関係があるから、このように事が運んだ、と私には思われる。 このあと実はWさんは夜中に覚醒してしまったのですが、朝一番でY君が来る迄、 帳場さんがみていてくれたわけです。
 第2に思うことは、横浜市の精神科救急医療体制がなっていないという事です。
建前は、県立のK病院がみることになっているのですが、私の経験上役に立ったことがない。 何かかと理由をつけて断るか、ないし嫌がる。  従ってケースワーカーのY君の頭の中にも、私の頭の中にも、時間外であるから本日の入院は無理、という判断が働いていて、どうしたら今晩一晩のりきれるか、 ということになってしまうのです。 内科や外科の患者さんなら、症状がそれ程重くなくても、入院させてくれる医療機関はたくさんあるのです。  あらためて、精神科医療の矛盾点を感じさせられた一件でありました。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第8号,1999年10月30日)

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(5)はるがきた(矢島雅子)

 春になると気が騒ぐ。診療所も例外ではなく、暖かくなってからというもの、賑やかな目が増えてきました。
よくあることといえばよくあることなんですが、診察室での会話ができなくなるくらいに、待合室での会話が盛り上がり、職員からお小言を言われることもしばしば 、待合室から歌が聞こえはじめ、時には喧嘩が始まり・・・骨を折った、転んだ、打撲に捻挫、けがなどなど。
 そうかと思うと、気が滅入るというか鬱々としてしまうとか、 部屋に閉じこもってしまうとか、元気がなくなってしまったり。
いずれにせよ、なんだか落ち着きがなく、サワサワとしているんです。
また、花粉症だ、喘息の発作が出はじめた、というのもこの時期の特徴です。
 人間の生活や感情にかかわらず、自然界も春になると様々な変化が引き起こされます。 冷たい冬中、ずっと地下にもぐっていた種子が芽を出し、木々は若葉を芽吹き、冬眠していた動物たちも起き出し、虫たちも活動し始めます。 同じ気温である秋には見られない現象です。秋は同じ気温でも草木は実を付け、春とは逆の経過をたどっています。
 これらは春の「木気」の大気作用といわれています。 木気とは、伸長するとか、膨張するとか、出発するとか、震えたつとかいう春の伸びゆく作用を木の成長していく姿に例えられた符号です。 この作用に追いついていかなかったり、過剰になってしまったりすると、焦りやイライラ感、怒りといった感情を引き起こすようです。
そんな自然界の影響を多分に人間も知らない間に受けているのでしょう。
 「気が騒ぐ」のは、春の陽気の魔力なのかもしれません。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第9号,2000年5月15日)

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(6)AKA治療を始めました。(三橋徹)

 最近、ことぶき共同診療所の三橋担当の外来でもAKAという治療を始めました。
AKAというのは、Arthrokinematic Approachの略で、和訳は関節運動学的アプローチです。整体やカイロに似ていますが、たくさんの関節を強い力で一度に動かすのでなく 、一つずつの関節をとしゅ徒手的に動かします。
 この治療は、しびれや痛み、こりがあるとき、関節の動きが悪くなったときに行います。 背骨を含め、体中にはたくさんの関節がありますが、ちょっとひねったり他の原因の痛みがあったときなどに、動きが悪くなったりひっかかったりすることがあります。 この関節を動かしてひっかかりを取ることで、しびれや痛み、こりを取ろうというわけです。
 実際に行なってみると、割と多くの人の寝違えや腰痛、肩凝りなどの症状がとれます。 悩んでいた耳鳴りが翌日からとれたと言う人もいました。他の治療ではなかなか良くならなかったむちうち、けいつい頚椎ねんざ捻挫の人も良くなる人が多いようです。
 先日、AKAの講習会に参加したときに指導する医者の一人が、AKAを喘息の人に行なって発作が起きなくなっていると話していました。 きんきんちょう筋緊張がおちれば、そういうこともあるのかもしれません。
痛みやしびれを訴えて、医療機関にかかる人は多いですが、なかなか結果として良くできないのが現状でした。 そのため、ことぶきの住民は、医療機関でいい加減にあしらわれたり、良くならない治療を長々と受けさせられていたことが多いのです。 共同診療所では、薬やシップ、注射などの治療の他に、低出力レーザーによる治療、これも最近始められた鍼灸治療と、今回紹介したAKAが加わったことになります。 これは私が知る限りでは最強の布陣です。
 とは言え、診療所の中での治療は、生活や労働の中で体を調節したり、守ったりする効果と比べればわずかな力しかありません。 デイケアでみんなで食事を作ったり、話しをしたり、旅行に行ったりする方が大きな効果をあげているのかもしれません。
いろいろな方法を通じて、日雇労働者や障害者、住民の復権に役立てられれば、と思います。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第10号,2000年11月11日)

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(7)常備薬・鏡がないこと(田中 俊夫)

 最近、擦過傷、腫物(おでき)、縫合あと後などで通院してくる人がかなり増えています。
気候が暖くなり、外で動きまわる頻度が高いからでしょうか。すり傷やおできを見ると、何となく少年時代を思い出してしまいます。 子供の頃よく、母親に、膝に赤チンを丸く赤くぬってもらったり、手足にできたおできにはまぐりの殻の中に入った、たこの吸い出しをつけてもらったものでした。
  ことぶき町の患者さんをみていると、いわゆる家庭常備薬を置いている人がほとんどいないように思えます。 勿論体温計をもっている人は少ないし、ほう帯など持っている人は皆無に近いと思われます(一人でまくのはかなり難しい場合もあるけど)。
従って、ちょっとしたすり傷でも野村病院に行って消毒をしてもらったり、足のおできを消毒しないで、ようじでつっついて膿を出そうとし、更にばい菌が入って悪くして、当所にくることになったりします。  
又、鏡をもっていない人が多いらしく、青タンを作って、ちょっと見ていられないくらいの顔になっていても、本人は案外平気な顔をしていたりします。
  ことぶきの人の最大の常備薬は、どうやら医療機関からくれる薬の飲み残しのようで、中にはけっこう備蓄している人もいるようです。 胃ぐすり、下剤、下痢止、かぜぐすり等が備蓄薬の代表でしょうが、中にはすいみん薬を節約して使用し、備蓄している人もいるようです。
しかし、消毒薬、化膿止、包帯などをもっている人はほとんどいないから、当所がしばしば小外科の通院先になっていまい、消毒だけに、一時間も二時間も待たされるはめになる。 “ことぶき町に救急箱セットを!!” 無理かな?

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第11号,2001年5月27日)

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(8)「私のトコブシもみて下さい。」(矢島雅子)

 数日前に病院を退院したばかりの人が、受付でこんなことを言っていた。
 “トコブシ?! はあ?”        「あの、Mさんもここでみてもらっているっていうんで、私も・・・」
あ〜。Mさんは床擦れ(じょくそう褥瘡)のため、毎日のように診療所に来て処置をしている。
 当初、外来では無理と思われたので、入院治療を勧めたのだが、「入院は絶対に嫌。」と強く主張されたため、毎日来ること、これ以上悪くなったら入院をすることを約束し 、通ってきてもらっている。Mさんは驚くほどの勢いで快方に向かっている。
しかし、彼の褥瘡は想像をはるかに上回るものだった。お尻に手のひらサイズの穴がぽっかり。もうすぐ、骨が見えるのではないかと思ったくらいの深さがあった。 病院勤務時代、褥瘡には苦労させられたが(あまり自慢できないけれど)、まあ、こんなに立派なものをみたのは初めてだった。
 一般に、寝たきりで自分で身体を動かすことができない人や、衰弱している人にできやすいものなのだけれど、彼らは歩いて診療所までやってきているのである。 食事は充分にはとれておらず、栄養状態はいいとは言えないが、なんとか自活できているのである。そこが不思議でたまらない。聞くと、家ではずっと寝ているとのこと。
でも、おしりに穴が開くまで同じ格好で寝ているというのもかなりの根性がいると思うのだが・・・。
 かくして、褥瘡との格闘が始まった。
診療所に関係している人だけで、2人。 寿の人の全てが診療所に来ているわけではないから、人口で換算すると・・・いったい何人の人が褥瘡を抱えているんだろう・・・。 なんて莫迦なことを考えてしまった。 「1日家にいる」「外に出るのは買い物に行くときだけ」なんていう人はよく会う。 狭くて暗いドヤに一人きりで過ごして、褥瘡とまではいわないけれど、体調を崩したり、 気持ちが不安定になってしまったりすることはある。
 独りぼっちが生む病気を感じざるを得ないのです。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第12号,2001年12月25日)

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(9)久松君タイム(西村料美)

 今年の春は、梅の花が終わらないうちに、桜の花が咲き始め、藤の花は、いつの間にか新緑に変わりと、あっという間に行ってしまいました。そんな春風のようにいってしまったのが、 久松君でした。新春を迎えてすぐのことでした。
 久松君はいつも毎日の診察の最後の患者さんでした。私が診療所に来てすぐの時は、どうしてこの方は、 受付順は早いのに一番最後の診察になるのかわからず、本当にいいんですかなんて聞いたりもしました。
何日か経つうちに段々わかってきました。どうして最後になるのか?
久松君は診察室ではなぜか田中先生のことを「校長先生」と呼びました。 今日一日の出来事、デイケアの行事のこと、稲子のこと、 大好きな日産の車のことを本当に楽しそうに話していました。もちろん薬の処方日には、薬をお願いしますということも忘れてはいませんでした。 田中先生は、ジッと耳を傾けて「それは良かったね」などと答えていました。
 私はそんな二人の姿をながめては思わず微笑んでしまったり、時には、会話に入れていただいたりしました。 田中先生は「久松君タイム」と呼んでいました。
それは、一日中多い時には、100人近い人々が出入りする慌しい診察室がホッとなごむ瞬間でもありました。まさに診察室のリラクゼーションの時間なのでした。
  突然その大切な時間を失った診察室は、午後5時50分から6時までのその時間をどうしていいのか、しばらくの間は途方に暮れました。  あれから4ヶ月が経った今でも久松君がいた時のようにすっきりと一日の閉めくくりが出来ず明日になっています。
デイケアが終わりその時間が来るのを静かに待ち、時々目が合うと、「はあ」と会釈する久松君の姿を今もはっきり思い出すことが出来ます。これからも忘れることはないと思います。
  久松君、ありがとう。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第13号,2002年5月30日)

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(10)脱水と点滴(田中俊夫)

 今年の夏は大変に暑く、診療所でも我が家でも、昼はクーラーのつけっぱなし、夜は寝苦しい夜の連続でした。そして診療室では、かつてない“点滴ばやり”となりました。
  その数は、延べ人数で7月は20人、8月は14人に及びました。上の血圧(収縮期血圧)が80台から90台にまで下がってしまって、フラフラしてしまっている人がたくさんいたのです。そうでなくても寿の人は、 食事の量が少ない人が多いのに、あの暑さで更に食欲が落ち、液体はお金を出して買う状況(自室に水道がないので、つい自動販売機で缶コーヒー等を買う)の人が多いので、 蒸泄量>摂取量となってしまい、おまけに夏風邪をひいたり、下痢をしたりすると、いっぺんに脱水状態になってしまうのです。一般にお年寄りは、口渇感が鈍感になっているので、 水不足が感知出来ず、自ら修正できないで、ただ何となく具合いが悪くなってしまうのです。また、暑さおよびそれによる苛立たしさから、ついつい飲んではいけないビールを飲んでしまい、 断酒活動からスリップしてしまう人が夏は多いというお話しを、アルクの職員の方から聞きました。
 診療所的には、飲酒のために胃をこわして食べられなくなったり、嘔吐してしまったりで、 栄養補給のために、エンシュアリキッド(缶に入った医療用栄養剤)がやたらに出た夏でもありました。
とにかく、クーラーの入っていないドヤの夏は暑いのです。表を歩いても、街路樹の日陰のない、土というもののほとんどない寿の町は暑いのです。 ドヤにいるお年寄りの夏場対策が気になる今年の夏でした。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第14号,2002年10月24日)

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(11)「ウーン」とくるしむまえに・・・。(加固実里)

 「何とかしてくれよー」「もう3日になるよー」。また今日も悩める患者さんが診察室を訪れます。彼らを悩ませる犯人は・・・便秘です。今回はちょっとくさい便秘のお話しです。

 勢いよくドアを開け、苦しそうに顔をゆがめながら診療所に入ってきたAさん。
「看護師さん、(あの)さー!」
(何か失礼なことしてしまったかしら・・・)
「もう6日も出ていないんだよ! たすけてくれよ。腹が痛いんだよ!」
・・・あらあら6日も我慢したのですね。それは大変。すぐ診察すると、Aさんのおなかは硬く大きくふくれあがり、グルグル動いているはずの腸も静まりかえっている状態でした。 Aさんには浣腸をしても効果なく、結局2時間も点滴をすることになりました。
 Aさんだけではありません。症状の訴え方、相談の時期などはさまざまですが、便秘で悩む方は毎日訪れます。
中には長く便秘で悩んだ末に、指で便を出そうとしておしりを傷つけてしまった方や、「便が出なくて悩んでいたら死にたくなったよ」という方もいます。 ・・・たかが便秘? されど便秘ですね。
  考えてみれば、寿町(まち)のドヤ生活は少し便秘になりやすいものかもしれません。まず自炊しにくい、外食に頼る環境では、食事が偏りやすく食物繊維を多く含む食品(いも・野菜類、きのこ、 海藻類など)をつねに摂取することは難しいことです。
また、部屋と便所が離れた環境では、便意があっても「遠いから・・・」とか、冬には「寒いから・・・」といった理由で便所に行く回数が少なくなりがちです。 夏には夏で、熱のこもりやすい(換気のしにくい)部屋であり、水場(流し)も離れているため、身体は脱水に偏りやすく、これも便秘にはよくありません。 そのほか向精神薬等、おくすりの副作用、運動不足、不規則な生活などもあり、なかなか便秘を予防しにくい環境に患者さんはあるのです。
 便秘は長びけば長びくほど頑固なものになります。一週間も我慢して私たちのところに来た時には、りっぱに固まり、石のような便になっていることもしばしばあります。 せめて3日。「ウーン」とくるしむまえに、診察室に来てほしいなあと思います。

初出:『ことぶき共同診療所だより』第15号,2003年5月31日)

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(12)不眠について(鈴木伸)

 「何とかしてくれよー」「もう3日になるよ。」また今日も悩める患者さんが診療室をおとずれてます。彼らを悩ませる犯人は…便秘?ではなく、今回は不眠についてです。 今回は診察の時によく聞かれる点についてお話します。

【不眠症の種類について】
 一口に「眠れない」といっても、いろいろな種類がありますが、医学の世界では大雑把に3種類に分けています。これは、それによって使う薬の種類が変わってくるからです。
  1. ねつきが悪い(入眠障害)
  2. 途中でおきてしまう(中途覚醒)
  3. 朝早く目覚めてしまう(早朝覚醒)

 もちろん、どれかひとつだけというわけではなく、1・2や2・3をあわせてもっている人もいます。また、時間は充分寝ているのに「ぐっすり寝た感じがしない」(熟眠障害)というのもあります。

【睡眠薬の種類について】
 一口に睡眠薬といってもたくさんの種類の薬がありますが、薬によって効く長さによって大きく3タイプに分けられます。以下に、代表的な薬をあげておきます。

  • 短時間型:ハルシオン、アモバン、マイスリー、デパスなど
  • 中時間型:レンドルミン、エバミール、サイレース、ベンザリン、ロヒプノール、ユーロジンなど
  • 長時間型:ドラールなど

 「短時間型」というのは主に?の「ねつきの悪い」タイプの不眠に使います。「中時間型」「長時間型」は「途中でおきてしまう」「朝早く目覚めてしまう」タイプの不眠につかうことが多いです。 これらを、その人の不眠の症状にあわせて処方していきます。ですから人の飲んでいる睡眠薬をもらっても合う場合、合わない場合が出てきてしまいます。
【副作用について】
 診察をしていると「眠り薬をのむと頭がバカになるんだろ」「副作用が心配だ」という話を良く聞きます。もちろん、薬ですから副作用がない訳ではありませんが、ほとんどの睡眠薬の副作用は軽いものです。 多いものは、ふらつき、だるさなどですが、これらは薬を変えたり、減らしたりすれば対処できるものです。「眠れない」という状態は、ココロも体にもダメージを与えますし、 まして「寝酒」に走って体を壊してしまう人も結構多いことを考えると(アルコールは副作用の強い薬です!)睡眠薬でしっかり眠ることは、決して悪いことではないと思われます。

【いつ飲むのか?】
 患者さんの中には、「早く眠りたいから夕方の5、6時ぐらいに薬をのんでるよ」という人もいます。が、これでは薬の効果を充分に生かしきれません。 特に、寝つきを良くする薬は飲んだ直後1〜2時間にもっとも薬の効果が出るので、眠る時間の1時間前くらいに飲むのが良いようです。

【薬をやめるときは】
 「くせになるのがいやで、やめてみたら余計ねむれなくなった」という声も時々聞かれます。薬を急にやめると「反跳性不眠」といって、リバウンド状態で余計眠れなくなります。 ですから、徐々に薬を減らすというのが大切です。薬をやめるときは、医者と相談して少しずつ薬を減らすようにしましょう。まだまだ書きたいことはいろいろありますが、だんだん眠くなってきました。 困ったことがあれば気軽にご相談ください。
それでは、みなさまお休みなさい。ズズズ〜。 


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第16号,2003年10月31日)

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(13)超音波(エコー)検査室から(鈴木美奈子)

 昨年の11月より診療所に新しい超音波検査のマシンが導入され、私が水曜日の午前中に、主に腹部の検査を担当することになりました。 すでに100人以上の方が検査を受けに来ています。
さて、超音波検査とはどんなものでしょう。検査を受ける方には、まず上半身裸になって検査用のベッドに仰向けになってもらいます。 そしてぬるぬるしたジェリーをおなかにつけて、プローブというプラスチック製のこてのようなものを押し付けながら検査が進んでいきます。
  検査は10分くらいで終わりますが、前後の身支度をいれるとだいたい15分から20分かかります。
これからの季節は暖かくなってきますが、寒いときは暖房をきかせてあるので上半身裸でも大丈夫です。
  エコー検査は超音波の波動の性質を利用した検査です。もともとは魚群探知機として実用化したのをさらに進化させたものです。 これによって体の深部の構造を写しだすことができますが、よく見えるものと見えないものがあります。
超音波検査でよく見えるのは、液体が詰まった物(胆のう、膀胱など)や、中身が充実している臓器(肝臓、脾臓、腎臓、膵臓など)です。 骨などの硬い構造や、空気を含んでいる肺や胃、腸などは反射が強いため、よく見えません。膵臓も体の深いところにあり、胃の空気に邪魔されることが多く、観察しにくいところです。 検査前には食事を抜いてきてください。
また、肥満体は体の表面から内蔵までの距離が遠いので、深い部分まで良くみることができません。
 診療所にくる方達の中には肥満の人は少なく、超音波検査向きの体格の方が多いようです。
C型肝炎だと言われている人は、毎年1、2回検査を受けることをおすすめします。理由は、慢性肝炎から肝硬変になり、肝細胞癌が発生する頻度が、他の人に比べやや高いと言われているからです。
検査中は、痛みがあるかどうかなどを聞きながらみていきます。中には博識な方や含蓄のある方も多く、お話を聞けるのも私の楽しみのひとつです。
内蔵の病気が心配で検査を希望される方は、都合の良いときに予約してください。当日の飛び込み検査も可能です。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第17号,2004年5月10日)

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(14)鍼灸院より(新井育子)

 どうして年齢を重ねるごとに月日が過ぎていくのを速く感じるのでしょうか?
理由その(1)、若い頃に比べて動作が鈍くなり、何をするにもスローテンポになるから。 
その(2)、若い頃に比べてまわりのスピードについていくのに必死になるから。
その(3)、若い頃に比べてやるべき事が増えて忙しくなるから。
 理由はどうであれ私が「ことぶき共同診療所」に来るようになってからの一年四ヶ月は本当に「あっ!!」という間でした。 振り返るにはまだまだ短い期間ではありますが、この間に私なりに感じた事を記してみたいと思います。
 患者さんは腰が痛かったり肩が痛いなど、痛みを訴えて来院してくる人がほとんどです。しかし、よく話を聞いてみると、不眠に悩まされている人もとても多いのです。 その不眠が痛みにより出現しているものであれば痛みを取る治療に専念するのですが、痛み自体の訴えが少ない場合は痛みより心身のリラックスが出来るような治療をしようと思っています。
 ある日のAさん。睡眠薬が効きすぎているのか、フラフラしながら「眠れないんだよー」と言いながら入室。腰も肩も痛いというが、今回は無視。さて治療を始めて15分位すると話声がしなくなり 、30分が過ぎた頃には、スースーと寝息が聞こえてきました。治療が終わり声をかけると、「眠れないんだよなー。」とまた一言。 「でも今寝ていたみたいよ」と少々つっこみを入れ、「今日は眠れるかもよ」と言って終わりにしました。帰りがけに「すっきりした」と言ってくれたので私も一安心。
彼は眠れないのではなく、眠れた気がしないだけなのかもしれません。たとえ本当は眠れていたとしても、その気がしないという事は辛いと思います。 不眠は心のストレスが大きく関係している為(ストレス以外ももちろんありますが)私には根本的には治せないのかと思い、自分の力不足を痛感します。
でも体の方の寝る環境を整える事ができれば寝られて心が少し軽くなる事もあるのかなとも思います。一人部屋で眠れず時間が経つのを待っているのはどんなにか辛い事でしょう。 せめて鍼灸院に来た時には、その辛さを語ってもらいたいと思っています。
 最近思います。ことぶきの人は正直な人が多いのではないかと。うれしい事も嫌な事もストレートに表現します。それにつられて私も喜んだり怒ったり、時には反発したりと気持ちが動きます。 でも考えてみると、そうやっていろんな事を話してくれるという事はうれしい事なんですよね。鍼灸院に来て少しでも心の荷物を降ろして帰ってもらえたらいいなと思っています。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第18号,2004年11月20日)

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(15)最近思うこと(森英夫)

 週一回共同診療所で働くようになり、2年が過ぎました。労働日数が少ないのでおおざっぱになりますが、 この間にも受診に来る患者さんが着々と多くなり、特に服薬管理と抗酒剤DOTSの患者さんが増えました。人数は20人から50人ぐらいでしょうか。(おおざっぱですみません)
 DOTSをはじめる患者さんは薬を確実に服用できない人(服用忘れ、服用しすぎ、服用する動機がうすいなど)とアルコール依存症の治療の一つとして抗酒剤を毎日のむ場合があります。 ときどき患者さんより、「毎日抗酒剤をのみに来てハンコを押してもらわないと役所の担当さんにおこられる」という話を聞きます。 お酒を飲みたい気持ちが強い人にとって抗酒剤をのむということはどういう心理状態になっているのか考えてみると、患者さんから葛藤のオーラが出ているように感じます。
 お酒のせいで体が悪くなり、亡くなってしまう人がいます。お酒さえ飲まなければいい人なのにという人もいます。自分はお酒が好きなほうで酒のプラス要因を認めたいのですが、 診療所では患者さんに抗酒剤をすすめています。抗酒剤をのみたくない気持ちが強い人にすすめる場合はプレッシャーがあり、葛藤があります。 DOTSのために毎日診療所に来ることが治療の動機の助けになり、お酒を飲まない、また飲んだとしてもブレーキになるのではないかと期待しています。 へべれけでよろよろの患者さんが数日後しゃきっとしているのを見ると、少しほっとします。
 DOTSの卒業のためには、服薬が自己管理できるようになるか、 ヘルパーさんや訪問看護の助けをかりるか、またアルコールミーティングへの参加や仕事がみつかることなどにも関連してきます。そもそもなぜアルコール依存症になるのか?  自分は「すべての人に仕事をくれ」と思いつつ、お酒を飲み過ぎないように気をつけようと思いました。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第19号,2005年5月27日)

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(16)あっという間の1日(守屋美紀)

 「看護婦さんお薬ちょうだいよ!」の声が朝一番の診療所ではよく聞かれます。これは毎日お薬を飲みに来るDOTSの患者さん達です。
皆さん朝早くから並ばれて(朝早くなくても大丈夫ですよと説明しているのですが・・・)、朝の一仕事のようにお薬を飲みに来てくれます。  その他にも診察をうける方をはじめ、血圧だけ測りたい、薬が合わないから調節したい、調子が悪いからベッドに横にならせて欲しいなど、様々な患者さんの訴えがあり、 朝の診療所はとてもにぎやかな?雰囲気でスタートします。
 診察が始まると私達看護師には、採血、点滴、血圧測定、 傷の消毒などの処置やその間をぬって処方箋のチェック(医師の指示と出された処方箋の内容が合っているか確認後患者さんに渡します)を行っています。
受付の前を通れば「ちょっと〜看護婦さん、俺の順番何番目か見てきてよ〜」と何度も声をかけられます。 忙しい日には「まだまだです。 ごめんなさい」と何度も謝ることもあります。 中には「もう何時間待たせるんだ!」と怒りだす人、「夕方空いている時に出直します」と帰っていく人、じっと名前が呼ばれるまで待つ人いろいろです。  その他に、時間がある時などにはしばらく来ていない患者さんのお部屋を訪ねたり、最近の様子を担当さんに電話で聞いたりもしています。
毎日の仕事はとてもバタバタとした感じで一日があっという間に終わる感じです。
 私が診療所に来て3年目になりますが、以前勤務していた病院では経験の無い出来事が数多くあります。
正直、戸惑う事も数多くあり刺激的な職場だと思っています。しかし、田中先生はじめスタッフが患者さんの事を親身になって考え、 なかなか普通の病院では出来ない事を普通の事として行っていく姿勢は素晴らしいと実感し、私も身に付けていきたいと思っています。 あともう一つ私が最近感じていることがあります。患者さんが本当に言いたいことを言える雰囲気の診療所はスゴイ!!と思っています。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第20号,2005年11月11日)

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 「診療室」は、公園や河川敷などの路上でも、簡易宿泊所が密集するドヤ街でも、
医療を求める人がいる限り、そこに関わる人々の機動性と工夫によって、形作られていきます。
今回は、医療活動のネットワークと連携を進めてこられた大脇さんに書いていただきました。(編集部)



(17)笹島、新宿、山谷、そして寿(整形外科 大脇 甲哉)


 タイトルにある地名は日雇労働者が集まり、野宿者も多い街です。私が12年間活動してきた街でもあります。
 きっかけは難民キャンプ:1993年難民救援の為ソマリアで活動した後、笹島(名古屋市)で野宿者健康相談をたまたま手伝った時、 自分の身近にアフリカの難民より厳しい生活を強いられている人がいることにショックを受けました。
 難民には原則的に国際機関・NGO・庇護国から衣・食・住・医療・治安が保証され、国際的に注目を受けていますが、野宿者には何も保証されず、 周囲から無視・蔑視されているからです。
 これが、私が野宿者支援活動を始めたきっかけです。
 笹島から新宿へ:2年程笹島で炊き出し後の健康相談を継続した後、1996年東京に転居した時野宿者支援活動を続けるために情報を集めたのですが、 「山谷では医師も含めすでに支援活動している。寿には診療所もあり医療支援が行き届いている。新宿はまだ医療関係者がいない。」と聞き、新宿での活動を始めました。
 山谷:2000年訪問看護ステーション・コスモス設立と同時に山谷に関わるようになり、2004年からは無料診療を行っている山友クリニックでも定期診療をするようになりました。 両方とも野宿者が対象で、城北労働福祉センターの敬老室・娯楽室で月1回健康相談、山友クリニックでは週1回診療をしています。
 ことぶき:この街に来るようになって7年経ちました。新宿で活動する前話に聞いた寿の診療所は、ことぶき共同診療所のことでした。 毎月診療をするようになって、寿の野宿者支援の長い歴史と行政との連携を知り驚きました。
 2002年コスモスが訪問看護ステーションを寿町にも開設したことで、寿・新宿・山谷のネットワークが確立したと思います。
 途上国での健康支援活動と、国内での外国人や野宿者に対する健康支援活動は、対象が社会的弱者・疎外者であるという共通の土台の上にあるため、 シェアの活動に参加するボランティアの多くが、野宿者の健康問題にも興味を持っています。
 その中には寿を見学に来たり、新宿連絡会や山谷のコスモスで定期的にボランティア活動をする人達も少なくありません。
 これからもこのネットワークを大切にして、海外と国内の活動の有機的な連携を継続できればと考えています。
 

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第21号,2006年6月30日)

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 (18)患者さんとの雑談(田中 俊夫)


 私はなるべくたくさんの患者さんと“雑談”するように心がけています。
といっても、患者さんの数が多すぎて時間的におしてきてしまったり、こちらが疲れてきて“もう早く終わりたいなあ”なんて思いだすとそうも云っていられませんけれど、基本的には何か一つぐらいは、体の具合い以外の話をするように努力しています。
 30年来の寿の知り合いのSというのがいて、私が何かの席で話しをした時に、
“俊夫さんの所に何回か行ったけども、診察をしてくれないで、雑談ばっかするんだもの”と云っていました。
でも結構楽しそうに云っていました。
 雑談の種として一番多いのは、出身地(故里)にまつわる話しです。
これはまあ、聞き易いからですね。故郷のことを聞かれて気を悪くする人はまずいないからです。
時には苗字から故郷を当ててみせます。沖縄の人はほとんど苗字(具志堅とか当真とか)で分かりますから、その後、本島ですか?離島ですか?等と聞きます。
東北の人は苗字とイントネーションで大体分かります。
例えば佐藤、高橋姓は東北に多いし、それも秋田や山形に多い。
及川、菅原は岩手か宮城、津島は青森県でも津軽地方、田名部は南部地方出身に間違いありません。
 故郷の話し以外では、テレビは何を見てる?とか、プロ野球はどこを応援している?とか、昔やっていた仕事の話しとか色々です。
仕事の話しをしていると、“箱根のロープウェイの鉄塔を作った”とか、“伊勢佐木町の松坂屋を作った”と
か、プライドをもって話しをしてくれることがあります。
 医者と患者という関係の間にある垣根はとても高く、そう簡単に平にはならないのですが、雑談をしているその先に、少しでも身近な人間関係が作られたらいいな、と思い今日も雑談を心がけている次第です。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第22号,2006年11月14日)

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 (19)服薬について(田中 俊夫)


 薬については、昔から笑える話、笑えない話等たくさんあります。
伝説的な笑える話としては、服用時を食間と書いたら、御飯を食べながら薬を飲んでいたという話があります。
 今はもう、そういう人はいなくなりましたが、風邪をひいたから注射をうってくれという人が、昔は結構いました。
“うんと強いやつを、ドーンと一発うってくれ”なんて言って、太い腕をニュッと突き出す人がいたのです。
患者としての私の記憶としても、子供の頃風邪をひいて、開業医の先生の所へ行くと、“では、お注射を”とよく言われたような気がします。一体何を注射していたんでしょうね。
 大きく分けると、薬を過信(依存とも言える)している人と、軽視(又は恐がっている)している人といますが、信頼の仕方が間違っていると思える人もいます。
“もう3ヶ月も血圧を下げる薬を飲んだのだから、もう高血圧は治っていると思った”などという人がいたり、
多分一生飲むことになるだろうと言うと、気落ちして暗くなってしまう人もいます。
かと思うと、勝手に普通の日は、めったに飲まないで、診察日の朝だけは必ず飲んでくるらしいという人もいます。
薬を飲んでいれば大丈夫、という感じの人もいて、この間、血液検査の結果、“中性脂肪が大分高いですね”と言ったら、“でも薬を飲んでいるから大丈夫です”と言われてびっくりしました。薬を飲んでも高いから問題なのに。
 今は、寿の多数派が一日二食であることを意識して、今迄一般的だった食後三回服用という指示には、気をつけるようにしています。
中には、薬を飲む為に、頑張って三食食べているという人までいて、その人が糖尿病や高脂血症であったりします。
一番困るのは、今日は朝食を食べなかったので、朝食後の薬を飲まなかったと言う人がいることです。最近、降圧薬を中心として、徐放剤と言って、朝食後一回飲めば、一日中効いているという薬が増えていて、朝食後に服薬をしないということは、その日はその薬は全く飲まないということになってしまうのです。
ですから、そのような薬については、食事に関係なく、起きたら飲んで下さい、と言っています。
 薬についての記憶、知識としては、青い色の眠剤がハルシオン、赤い色のそれがベゲタミンAと知っている人が多い他は、マイスリーを黄色い薬、ベンザリンを米俵の形の薬として憶えている人が少数いるくらいで、印字やmg数など誰も憶えていません。
又、赤い薬というのがメチコバールであったり、緑色の薬がイサロンであったり、青い薬がガスターであったりします。つまり錠剤そのものは、大部分白なので、シートの色で記憶しているわけです。従って、バラバラにしてしまうと分かりません。
 自己判断による過剰服用は、睡眠薬の場合に多く、2パック以上飲んでしまって、次の日ひどい下痢に苦しむ人がいます。眠前薬として、下剤が合包されている場合があり、眠剤と一緒に、下剤も倍量以上飲んでしまうためで、事実をなかなか白状しない人もいて困ります。
 薬に関する気になることは、まだまだいっぱいあります。本当は大事なことなんですよね。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第23号,2007年6月15日)

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 (20)ことぶき「コンビニ」診療所???(天田大輔)


 「○○ちょうだい、風邪薬もね、シップも欲しいなあ」
朝9時半に開くと同時に、このような会話が受付、診療室に飛び交います。そのうち、急患ですぐに病院搬送しなければいけない患者さんが飛び込んできて、午前中には処置・点滴室はすぐに一杯になってしまいます。
待ちくたびれた患者さんが、「まだなのか」と怒鳴り散らしている声を聞きながら、平常心で診療を継続するのも日常茶飯事になってしまいました。もちろん、決していいことではありませんが…。
 最近、コンビニ化する夜間救急外来が問題になっています。しかし、ここでは以前よりコンビニ医療を目標としてやっていました。近くて安くて品揃えが豊富、それに加えて親切な店員がいる、そんなコンビニ欲しいですよね。
気軽に行けて、敷居が低く、誰でも利用できて、なんでもみてもらえる、それがコンビニ診療所の目標です。それに加えて、待ち時間が短くて、診察もしっかりやってくれればいうことなしですが、現実はそうはいかないことも多いです。
 しかし、実際のところは、いろいろ問題があります。患者さんがどんどん増えてきて、待ち時間が長くなって大変です。一般のお店でも、待ち時間が長いところや、品揃えが悪いとこと、料金が高いところは、お客さんも入りません。 そんなお店のスタッフは、お客さんの苦情対応やレジうちで大忙しで、品物を揃えたり店内をきれいにしたりする時間がなくなります。そうなってくると、「安かろう、悪かろう」的になってしまい、賞味期限切れの品物が並んでしまうようになり、閉店に追いやられることは目に見えています。
 これから、どのようにしてコンビニ医療を継続するかを模索しています。気軽に来れる反面、患者さんが殺到してしまうことで、医療の質が低下することは避けなければなりません。皆さんの叱咤激励を受けながら、最高のコンビニ医療を目指していければなあと考えております。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第24号,2007年11月24日)

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 (21)“早起きは三文の得??”(矢島 雅子)


 「おはようございま〜す」
朝、診療所前を通り過ぎると、「早く開けてくれ〜」との声。ざっと2つ隣のビルの辺りまでの大行列。
そして、診療開始の9時30分。「まだか〜、もう5時間も待っているんだぞ〜」
んんん???、っていうか、まだ診察が始まったばかりなんですけど。

 診療所の朝の大行列。列の最後の人が名前を書き終わると、100人に達することもある。
しかし・・・、大行列の3分の1位の人は、DOTS(薬だけを飲みに来ている)の人で、わざわざ朝も早くから並ばなくても良い人なのだ。
 「薬はすぐにお渡しするので、もう少しゆっくり来て頂いてもいいですよ」とは言ってみるものの、「大丈夫」と。
薬を飲んで、すぐに帰ってしまう人も、何故か朝5時とか6時とかから並んでいるらしい。
いつも一番をキープしている方は、何を隠そうDOTSの人だ。
 傷の手当てなどをしている人も、これまた朝も早くから並んでいて、名前が呼ばれるまで、じっと待っている。
「午後に来ていただければ、お待たせしませんが・・・」と言ってみるものの、次の日はさすがに午後に顔を見せてくれるが、気が付くとまた朝も早くから並んでいる。
 何故、人は並ぶのか。
確かに、行列のできている場所は「美味しいに違いない」し、「楽しいに違いない」し、「いいことがあるに違いない」と思い、並んでみる。理由はいろいろあるらしい。
 夜3時に目覚めてしまったから並んでいたとか、早く役所に行かなくてはいけないからとか。
毎日早朝に目覚めてしまう人は、不眠なわけではなく、日が暮れると用事がないから寝てしまうとか、昼寝しすぎたとか、これまた色々と理由があるようです。
 一説によると、その昔、奈良で神の申し子とされていた鹿が家の前で死んでいると、その家の人が罰金を支払わなければならず、早起きをして、もし鹿が死んでいたら屍骸を家の前から動かして三文の罰金を免れていたため「三文得した」ということがあったらしい。
 しかし、診療所の前でお金を拾ったという話も聞かないし、何か良いことあったという話も聞かないし・・・。
はたして、三文得しているのかな?
 まあ、でも早起きして朝日を浴びるのもいいし、友人も出来ているみたいだし、まあいいっか。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第25号,2008年6月25日)

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 (22)“薬の処方で思うこと”(菊田 恵義)


 ことぶき共同診療所に勤務を開始して、早10ヶ月が過ぎました。
当診療所の患者さん方の疾患特性や生活背景、その他諸々の診療事情が少しずつ解ってきた今日この頃です。
日々診療していて、自分が気になっている薬の使用に関して、少し書いてみたいと思います。
 現在の精神科外来診療は薬物療法中心にならざるを得ないのは異論のないところでしょう。
当診療所も、たくさんの患者さんを限られた時間内で診療する特性上、短時間で訴えを聞き処方を決定しなければなりません。
 こうした診療スタイルは、勢い訴えに併せて投与薬剤が多くなる弊害を孕んでいます。
ここで診療を始めて日々感じるのは「とにかく併用薬剤が多い」ことです。
処方箋が2枚3枚と複数にわたり、大量処方になっている方も少なくありません。
こういった処方スタイルは「多剤併用大量療法」などと呼ばれ、かつての精神科医療では、ごく当たり前のこととされていました。
(話が多少横道に逸れます。「眠れない」との訴えに、睡眠剤が数種類併用されていることも珍しくありませんが、現在主流のベンゾジアゼピン系睡眠剤(例えばハルシオンやベンザリン、レンドルミンなど)は睡眠をかえって浅くしてしまうような側面もあるのです。大量の使用は逆に快適な睡眠を阻害することになるのです。)
 現在の精神科医はかつての多剤使用から脱却し「単剤化・適正量使用」を目指しています。
薬は生体にとって異物ですから、代謝には肝臓や腎臓の働きが必要です。
診療所の患者さんはアルコールの過剰摂取や糖尿病など様々な理由から、肝臓や腎臓の機能が弱っている方も多く、薬の代謝が適切に行われていない方も少なくないのです。
適正量の薬剤使用はまだまだ現実には、難しいケースの方が多いのですが、出来るだけシンプルな処方は、それだけ患者さんの体にも優しいのです。
 また、患者さんは高齢化も進んでいて、精神科だけではなく内科や整形外科など他の診療科から投薬を受ける機会も多い昨今は、薬の「飲みあわせ」にも十分注意が必要なのです。
適正な処方は、薬の有害な相互作用を避けることにも有益なのです。
恐らく、現在の診療所の向精神薬投与量は、適正投与量の数倍になっていると思います。
 私も患者さんと顔なじみになってきまして、皆さんが私の話を聞いて下さるようになってきましたから、今後は、患者さんにしっかりした心理教育を施して、適正な内服を行って頂けるように日々努力したいと思っております。
 それでも、「いつものね」でdo処方してしまう自分て、なんだかなぁ・・・です。反省!!


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第26号,2008年11月22日)

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 (23)“三人の診察室”(田中 俊夫)


 私は、基本的に、三人で診察することにしています。三人とは、私と患者さんと、看護師さんです。
私も、昔勤務医をしていた頃は、外来では大きな診察室で、患者さんと二人きりで話しをしていました。
 しかし、診療所を開設してからは、ほとんど三人の診察室でやっています。
と云っても、初めの頃は、意図してそうしたのではなくて、何しろ場所が狭くて、診察室も一つしかなく、その中にベットも心電図もエコーも、薬棚でさえも詰め込んであったので、唯一人の看護師だった矢島さんも、私の側にいるしか、居場所がなかったのです。
 そして診察机に向って坐っている私の前方、つまり待合室へと開くドアの脇の凹んだ所に居て、「何々さん、どうぞ…」とドアを開けて呼び込みをやっていたのです(“バー矢島”のママさんのように)。
当時はインテーク室もなく、初診であってもその場で「どうしたの?」から会話が始まり、話しながらも、血圧測定や採血が目の前で同時進行し、という感じでした。
 一つには、精神科の患者さんと云ったって、内科疾患もありそうだという人がたくさんいたし、けが人から風邪っぴき迄来るので、簡易健康診断をやっていたようなものです。
しかしそのうち、そういった実用の面ばかりでなく、二人より三人のほうがいいのではないか、と思うようになりました。
 医者と患者の二人だけだと、えてして上下、強者と弱者、指示者と被指示者という風に、関係が二分され易いのではないか。
もっと単純には、二人ではしゃぐより三人ではしゃいだ方が楽しいのではないか。
二人で問題点を探すより、三人で探したほうが気づきが多いのではないか、男性の御老人は、孫のような看護婦さんに血圧を測ってもらったり、世話をしてもらった方が嬉しいのではないか…等々です。
 これは私がさぼりたくて考えだした理屈ではありません。
当診療所がこんなに患者さんを集めるようになった最大の理由は、受付のやわらかさと、気軽さ、看護師さんの優しさ、明るさだと、前々から思っていました。
その上で、“三人の診察室”も少しは良かったかな、と思っているのです。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第27号,2009年6月16日)

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 (24)“ひまつぶしとタバコ”(森 英夫)


 本数は少ないのですがスモーカーです。診療所職員としてはかなり少数派になっています。
社会情勢の影響から診療所待合室もついに禁煙となり、そのかわりにテレビが取り付けられ、マンガ本が多数置かれるようになりました。
診察を待つ間、新聞やマンガやかわらばんがあると助かります。 テレビは光チャンネルであまり面白いのはやっておらず検討の余地があると思いますが、 患者さん一人一人の要望を聞いていたらチャンネル争いで収拾がつかなくなるのでそれも困ります。
いままでのくせでついタバコに火をつけてしまう患者さんもいましたが、混乱はなく外で吸うようになりました。
ガンや喘息発作の原因になり、副流煙はノンスモーカーにも害をおよぼすので待合室禁煙はよかったと思いますが、少数派としてタバコの効能についても考えてみました。
 まず一つが気分転換です。なにか仕事が一段落したときに一服しようという気になります。 「ふー。一息ついたーさて次に取りかかろう」という感じで、もやもやした頭がすっきりします。
さらに重要な意味を持つと考えられるのは、ひまつぶし機能です。「タバコ吸ってテレビ見ることしかやることない」と言う方がいます。 あまり外出しない人は部屋でテレビを見る時間は多く、そしてなんの気なしにタバコに火をつけるでしょう。 逆にテレビとタバコが無かったら、一日どうすごせばいいのか苦しむかもしれません。 同じ事は酒にも言えるかもしれません、ひまつぶしに酒を飲み止まらなくなるほど飲んでしまう。
こう考えるとひまつぶしは人生において非常に重要な意味を持つと言えます。
どんなひまつぶしをすればいいでしょうか?良いひまつぶしと悪いひまつぶしはなんでしょうか?ひまつぶしと仕事のちがいはなんでしょうか?自分にとって楽しく、社会からも認められるひまつぶしを見つけることができればしあわせですね。 さらにそのひまつぶしで生活できれば最高ですね。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第28号,2009年11月30日)

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 (25)“ダニと疥癬”(宮崎 伸一)


 最近、A さんという患者さんがダニに刺されて体の何箇所かが痒いと受診してきました。
しかし、ダニはそもそも肉眼では見えないので、どうしてダニだとわかったのかと聞いてみると、実は1 ヶ月ほど前に、ダ ニを持っている人を部屋に入れてしまったからだそうです。
その人はダニを持っていることが皆に知られているので、誰も部屋に入れてくれま せんでした。
その人がA さんの部屋を訪ねてきた時、かわいそうに思ったので断り切れずに部屋に入れてしまって雑魚寝をした後に感染をした、ということです。
もう一人、B さんは、数カ月間かゆみが続き、自己判断でステロイドの軟膏を塗っていましたが、良くなるどころか悪化するばかりで、夜になると必ず痒みが強くなって眠れない日々が続いていたそうです。
皮膚科を受診して疥癬だとわかり、治療を受けてようや痒みがおさまりました。
 さて、A さんとB さんの皮膚病の原因のダニはヒゼンダニです。
ヒゼンダニは人を刺すのではなく、人の皮膚に寄生した虫体やその糞に対するアレルギー反応として痒みなどがでてきます。
たたみやじゅうたんでは繁殖しません。
ヒゼンダニが原因の皮膚病を疥癬といい、症状としては、数週間の潜伏期の後、夜間に強いかゆみが生じ、指の間、肘、アキレス腱部や外陰部に皮疹が出ます。
感染力が比較的強く、人と接触することで感染します。
畳での雑魚寝やまれに寝具、衣類などから感染することもありますが、通常の社会生活で、数時間並んで座った程度では感染しません。
疥癬の程度がひどいものをノルウェー疥癬といいますが、別にノルウェー国とは関係がありません。
注意しなくてはいけないことは、ステロイド剤は無効どころか症状を悪化させることです。
B さんはそのため、何カ月も眠れない夜を過ごしました。
従って、自己判断、自己治療は禁物です。必ず病院を受診しましょう。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第29号,2010年6月10日)

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 (26)“おさけとごはん”(矢島雅子)


 質問って難しい。
“お酒のんでない?”
“飲んでないよ〜”
 でも、明らかに顔はむくんでいるし、手は震えているし、しんどそうだし、怪しい。
“じゃ、ビールは?”
“いや”
“じゃ、焼酎??”
“あ、うす〜いの、ちょっとだけだよ”
 なんてことはよくある会話。
 お酒イコール日本酒のようで、お酒飲んでないかの質問に対しては、飲んでないのである。
“じゃ、焼酎?”の質問になんとか“飲んでないよ〜”と、かわしたものの、“で、じゃあ最近は何で割っているの?”と聞くと“トマトジュースかな〜”と思わず口を割ってしまうかわいそうな人もいる。
 そもそもアルコール依存症は否認の病気なので、お酒のんでいない?の質問に対し、素直に飲んでます!なんていうことは滅多にない。
野暮な質問と言えばそれまでだが、学習させて頂いた。

 そして糖尿病。
 支給日前にはお金がなくて、食べ物が買えず、飢餓状態になって、血糖値が良くなる人。
また、突然の高血糖で原因を探ると、最近コーヒー牛乳がマイブームで1日に1Lパックを3本飲んでるとか、はちみつ舐めているとか。
 血糖値の高い人には食生活について聞いている。
“今日はご飯たべましたか?”
“まだ、何も食べていないよ”というので、血糖値を測ると高すぎて測定不能。
“ん?”“何か、食べた?”
“何も食べてないよ”
“ん??”
“じゃ、ジュースか何か飲んだかな”
“飲んでないよ”
“ん???”
 寿には、何にも食べなくても血糖値が上がるエキスが空から振りまかれているのか・・・。
 質問を変えてみる。
“パンは?”
“アンパン食べたよ、大きいの2個”
“あ〜あ〜”
 どうも、アンパンはおやつでパンは米じゃないから、食べてないというわけ。
 他にもオロナミンCは身体にいいと思ったから、朝から3本飲んだとか、油っこいものは悪いと思ったからその替わりに米だけ食べてるとか。
 確かに。聞き方が悪かったです。答えている当の本人は全く悪気はないし、到って真面目なのです。
ごまかすつもりもないのです。そう考えると、このことに限らず、伝えたと思い込んでいても通じていないことってたくさんあるのだろうし、理解されていないことって計り知れないし、誤解っていっぱいあるのだろう。
 魔法の質問はないから・・・。まだまだ修行が足りません。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第30号,2010年11月30日)

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 (27)“診療所の最近の処置とお誕生月検査について”(守屋 美紀)


 「血だらけの患者さんが来ています!」と事務さんに声をかけられ、受付に行ってみると、頭部(顔面、指、等部位は様々です)から出血している患者さんが診療所にやってくる事も少なくありません。怪我をして傷をすぐに見せてくれる患者さんもいますが、あまりにも泥酔して傷だらけになっているにも関わらず、本人は覚えておらず数日経ってから、なんか頭が痛いのだけど???と血のりべったりの頭部をみるとパックリ切れた傷があるという患者さんもいます。
 えー!また転んで怪我したの?という患者さんも少なくありません。他の人からみたら、頭部や顔面から出血し、痛いだろうなと思いますが、割と本人はケロッとしている事が多いです。
 まずこのような患者さんが来たら、とにかくきれいに創部を洗浄し、感染を起こさせないようにするのが基本です。その後は、先生方がそれぞれの創部の状態や、患者さんの生活状況に合わせて、縫合処置、軟膏処置など処置の方法も様々です。
診療所では、このように、外傷だけではなく、骨折、熱傷(カップラーメンを作ろうと思って熱湯をかぶった例も多いです)、褥創(じょくそう)(床ずれ)の患者さんの処置をすることが多いです。
 創部の状態に合わせ診療所に処置に来ていただきますが、処置の効果がでてきて、日々創部がきれいになっていく事は私達にとって、嬉しく(楽しく!!)やりがいのあることです。“傷は正直だ”というのが私達の本音です。(ちなみに私は、患者さんには申し訳ありませんが、血まみれ、傷の患者さんが来ると、どんな状態??どのような処置になるかな?なんていつもとは違うやる気が出てしまいます。) 診療所では新しく始めた事があります。それは、お誕生月検査と呼ばれ、患者さんのお誕生月に、必要に応じて、採血、胸部レントゲン、心電図の三点セットを受けてもらっています。胸部レントゲンは、結核が多い場所柄年に2回の検査をお願いしています。
 患者さん自身いつ検査をやったか、覚えていなかったり、実はもう2年もレントゲンを撮ってなかった患者さんがいたりなど私達もきちんと把握できるよう始めた事です。
 患者さんも覚えやすく、最近では患者さんの方から声がかかることもありました。今後とも、患者さんの協力のもと行っていき、疾病の早期の発見、治療につながればよいと思います。                     


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第31号,2011年6月30日)

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(28)“お野菜を食べないという事について”(田中 俊夫)


 寿に住んでいる人達が野菜を食べないと言うのは、定説になっていますが、先日50人の患者さんに聞きとりをして見て、“本当に、野菜はほとんど食べていないんだ”とびっくりしました。そこで野菜を食べない原因と、その結果について少し考えてみたいと思います。
原因その1は、ほとんどの人がみそ汁を飲んでいないということにある。通常、これ迄の日本の家庭のみそ汁の具である、大根、ネギ、わかめ等がほとんど食事から除外されてしまう。
原因のその2は、生野菜(キャベツ、レタス、キュウリetc)をマヨネーズやドレッシングをかけて食べるという、最近の食習慣になじんでいない。
原因の3として、漬物をほとんど食べない。従って、白菜、大根等の摂取量が少なくなる。4として、大根、にんじん、ごぼう、蓮根等、根菜類の煮物をあまり食べなくなった。
では、何故以上のようなことが起こったかと言えば、寿の大多数の人がコンビニ及びコンビニ類似の店(マルミツ、マルキン等)で一食買いをするからだ。朝食1食分、夕食1食分だけ買って来て全部食べてしまう。みそ汁、漬物のような、作りおき、買い置きが多いものは排除されがちだ。室内に水場がないので、共同の水場迄行って野菜を洗ったり、刻んだりしなければならず、生野菜は食べにくい。第一、総菜屋では売っていない。ちなみに、部屋に施錠しないでトイレや水場に行くことは、ドヤでは結構危険なことで、わずかな時間の間に泥棒に入られたりする。
野菜をあまり食べないことによる弊害は、主に三つあると思われる。第一に、診療所で1〜2を争う疾病である慢性便秘症の原因として野菜摂取不足による繊維質の不足があると思う。便秘は、腹部膨満感によって食欲の低下を招くし、痔を悪化させたりする。
第二には、ビタミン不足(特にAとC)をきたしかねない。第三には、偏食によるカリウム摂取不足により、低カリウム血症になっている人がかなりいる可能性がある。そうすると、筋力低下を招き、歩行力が低下する。安い外食店の活用、配達弁当の活用等、食事形式の多様化が必要であろう。



(初出:『ことぶき共同診療所だより』第32号,2011年12月12日)

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(29)“湿邪(しつじゃ)注意報と幸せってなんだっけって話”(佐藤 木綿子)


 もうすぐ梅雨ですね。雨が降る前には神経痛が痛くなる、低気圧のときは、足がむくんでつらい、よく聞く話ですよね。体の中に余計な水分(東洋医学では“湿邪”といいます)がたまっている人は、特に湿気に弱いようです。湿邪にはお灸、いいんですよ(もちろん鍼もいいんです)。冷たい飲み物やアイスなんかを取りすぎると、ますます体に湿邪がたまってしまいますのでみなさま、ご注意を。
 と天気の話題はさておき、鍼灸院の一コマをご紹介。
鍼灸院には腰痛や五十肩や神経痛などなど様々な主訴を抱えている患者さんがいらっしゃいます。患者さんの体に直接触って鍼やお灸をしていると、体のコリがゆるんでいくうちに、患者さんから思わぬ言葉が聞けることもあります。
私がひそかに人生の師匠と呼んでいる患者のHさん、毎週毎週ありがたーいお話を教えてくれます。いつしかカルテには、痛みの状態や施術内容のほかにHさん語録も書き留めるようになってしまいました。
ちなみに今日のカルテには「自分が本当に幸せになりたかったら、まわりの人につくしなさい」、「幸せの価値はお金や地位や名誉じゃないの」と書いております。ことぶきでずっと日雇いで働いていて、一時はアルコール中毒で苦しんでいたというHさん、「酒をやめる力は、人に喜んでもらうことをすることだ」って治療中に何回聞いたことでしょう。
ちなみにHさん語録には他にも「倒れたことを悔やむよりも立ち上がって歩くことに誇りをもつべき」、「分相応、身の丈にあったことをすればいい。それ以上のものをやろうとするからおかしくなっちゃう」などなど数々の名言があります。
あれ、これってどこかで聞いたなあ。そう、最近よく聞くブータンの価値観と似てるんじゃないかしら。自分のいる場所で、自分の出来る範囲で、人の喜ぶことをする、それが幸せってことらしいのです、どうやら。ことぶきとブータン、まったく違うような場所でも、同じような結論にいきつくのはなんでなんでしょうね。
幸せってなんだっけなんだーっけ、と迷ったら、Hさんの言葉を思い出したいものです。



(初出:『ことぶき共同診療所だより』第33号,2012年6月15日)

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(30)“夏祭り”(熊倉 陽介)


 寿町ドヤ街の夏祭りが大好きだ。
今年も外来の合間に抜け出すことに成功。真っ青な夏空の下、路上に寝そべるおじさん達の右手のチューハイを横目に羨ましく見ながら、フリーコンサートへ。
さっそく購入した焼きそばを食べながら、ライブ気分を満喫する。「次の出演者は、○○です!」というアナウンスに、「マジかー! 生きてたのかー!!」と生きてたのか不明な人の代表みたいなおっさんが大声で叫び、高まる場のテンション。
最前列に踏み潰されそうになりながら横たわってたじいさんが、「にいちゃん、おれ、脳梗塞だから!」と言いながら震える手で差し出した財布に一枚しかない千円札を、しっかりとおひねり袋に入れる。

 あっ。
居酒屋の出店で、アルコール性肝炎の患者さんを発見。次の血液検査で肝臓が悪くなったら、断酒の治療を始める約束をこの前したばかりだ。
持っていた黄金色のグラスをどぎまぎしながら背中に隠したから、今日のところは許してあげようか。年に一度のお祭りのドヤ街で飲むビールは、さぞかし美味しいだろう。
気づかぬふりして立ち去ろうとすると、そんなこちらの気持ちを十分察した上での一言。
「先生! 先生も一杯どう?」
なめやがって。
次回、採血の針をこっそり一番太いやつにしようと心に決めて、にやにやしながら診療所に帰る。
焼けたアスファルトの照り返しの中、サックスの音を乗せた涼風がドヤ街のビルの間を吹き抜けた。





(初出:『ことぶき共同診療所だより』第34号,2012年12月12日)

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(31)“月に二回のご挨拶”(弓野 綾)


 患者さんたちは、2週に1回の受診の人がほとんどです。さらにDOTSのため、毎日来ているけれど、私が会うのは週1回の外来日、という頻度の受診の人もちらほら。
 初めて来たときには、自分の今までの外来のペース(4週1回、または6〜8週1回)と違うので、戸惑って、こんなに受診が要るかなあ?と考えたりしました。安定している患者さんたちとは、すっかりお馴染みの『月に二回のご挨拶』状態になっています(笑)。
 でもやっぱり、この「お馴染みさ」が、こと共に大事なことの一つなんだろうなー、と今は思います。
本当は入院が必要そうな、でも入院したがらない人でも、ドヤからの毎日の通院で、なんとかなってしまったり。精神科だけでなくて内科関係の病気も改善していくのが、凄いなあ、と思います。
 ちょくちょく顔を見ることが出来、さらに、こと共ではバイタルサイン(血圧、脈拍、血中酸素濃度)や体重を、自分で測って診察するので、患者さんに触れる時間も増えるため、普段と様子が違うことに対しては、こちらのアンテナも鋭くなっている気がします。
 実は触れることで、患者さんの体調を側で感じられて、私自身も安心している感じです。週1の外来でもそう感じるので、DOTSで毎日顔を見ていたら尚更だろう、と思います。
 例えば、慢性心不全のAさんや、よく高アンモニア血症になるBさん、糖尿病性ケトアシドーシスを繰り返すCさんなど。普段と息づかいや受け答え、検査の数字(血圧、血糖)が違うと、看護師さんが教えてくれたり、外来で気づいて、治療に繋がりました。
 こと共で出会った患者さんは、丈夫に見えても意外にあっけないお別れになることもありました。
今日、ちょっと調子が悪い?と思って申し送ったら、次の日に再受診したときには入院になって、その後亡くなったらしいよ…と、1週間後の外来日に聞いたこともあります。
今日の「ちょっと変?」が、最後の診察にならないように。普段の、お馴染みの様子と違っていないかに気を付けながら、月に二回のご挨拶を、また続けていきたいです。



(初出:『ことぶき共同診療所だより』第35号,2013年7月10日)

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(32)“不機嫌な患者さん”(野本 清志)


 働き始めて間もない頃、いつも機嫌が悪い患者さんがいました。
慢性の心不全で、通院、飲み薬でコントロールしていたのですが、むくみの状態を診るために足を触っても「痛い、触るな」と怒鳴られていました。
 その方が、心不全が悪化し、入院することになりました。入院して、注射薬などを使うと、症状は良くなります。
入院当初は、苦しくて、何かを言うことも出来なかったのですが、改善するとともに、会話も出来るようになります。
すると、その方が、非常に穏やかになっているのです。それは、感謝の気持ち云々といった感じではなく、性格そのものが変わったかのようでした。
 退院後、外来でも、その穏やかな感じは変わりませんでした。おそらく、それまでは(苦しいという意識はなくても)苦しくてイライラしていたのだと思いました。
 後で知った言葉ですが、心と体は密接に関係しているということを「心身相関」というようです。
「精神的なストレスがあると、体の不調として現れる」ということで言われことが多いようですが、逆のパターンもあるようです。
 どこかに痛みがあるとイライラする、といった経験は、誰しもあると思います。
「血圧が多少高くても、あるいは血糖値が多少高くても、自覚症状はない」と言いますが、やはり、体、あるいは心に何らかの影響を与えているのだと思います。
 最近はあまり怒鳴られませんが、不機嫌な患者さんの時は、体の状態が少しでも良くなることで、ひょっとして穏やかになることもあるかも、と思いこむようにしています。
もちろん「全ての患者さんが、実は穏やかな人である」といった甘い考えはありませんが・・・。



(初出:『ことぶき共同診療所だより』第36号,2013年12月20日)

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(33)鍼灸院の日々のこと(新井 育子)


 鍼灸の治療は、患者さんとおはなしをしながら、という事が多いです。まずは普通に問診から、「今日の体調はどうですか?」「この間痛いと言っていた○○はまだ痛みますか?」という感じです。
もし、具合いが悪いとか、まだ痛いという返答があれば、もう少し詳しく症状を聞くことになります。前回のはりの治療後は少し楽になったのか?とか、天候によって症状が悪くなるか?とか、今週はどんな風に生活していたかなど、どうして痛みが良くならないのか、あるいは、痛いけど前よりは動ける範囲が広くなっているかなど探ってみたりします。そんなやりとりをしていると、話が何故だか、全く関係ない方にいってしまう事もしばしばです。洋服を脱がされ、おなかをさらけだすと、人間、心を許した気になってしまうのかな?なんて思ったりもします。
不安な気持ち、悩んでいる事、自分の生い立ち、おかあさんの事(何故かお父さんのはなしは少ない)、妻の事、子供の事、仕事の事、犯した罪の事、お酒の事など、様々な人生を教えてもらいました。
一番信じているのは、TVの健康番組の情報だと言われ、少しがっくりしたり、好きなアイドルのはなしになると、声のトーンが変わって元気な声になってしまう、うつ気味の女性がいたりで、本当に人間って面白いなぁ、色々だなぁと私自身は少し楽しんでしまっている感じです。
そして、そんなおはなしが出来ると、イライラしていた人が帰り際、ニコっと笑顔になってくれたり、治療の途中から深い呼吸になってリラックス出来ている事も少なくありません。
鍼灸のわずかな時間、その刺激によって何かから少しでも解放された気分になってもらえているとしたら、少しはこの治療がお役に立てているのではないかと、嬉しい気持ちになります。一週間に一度の距離感であるから、はなしやすいのかもしれません。もちろん、治療中、何も語らず、寝ていても十分効果はあります。人それぞれのリラックスの仕方で自己治癒力を高め、そしてそのお手伝いが出来るよう、これからも頑張っていこうと思います。   


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第37号,2014年7月12日)

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(34)外来が「荒れる」日(弓野 綾)


 寿町での外来は、穏やかに進む日がほとんどですが、たまに荒れる日もあります。
この「荒れる」の意味は数通りあり、
@ 患者さんが重症で、素速い対応が必要なとき
A さらに患者さんを多数でお待たせしており、中に重症の人がいるとき
B 患者さんが何らかの理由で怒っているため診療がすすまないとき、などです。
@とAはしばしば同時に起き(特に冬場は)、これから救急車に乗せる予定の患者さんの処置をして、具合を心配しながら、お待たせした他の患者さんに謝って診察させていただきます。
寝ている人の具合が心配なのと、お待たせして申し訳ないのと、他にも具合の悪い人が待っていないのか心配・・・などなどで、胃がキュキュッと縮む感じのときもあります。
そんな時に“具合かわりないよ〜”とニコッとしてくれる方がいると、“ありがとう〜”とこっちもホッとします。これじゃあ、どちらが患者さんか分かりませんね。
そうそう、今日はBの場合の話をしようとしたのでした。
患者さんが怒っている理由は“治療が思ったようにいかない”だったり、“待たされた”だったり、“具合がわるいので困っている”だったりします。全部のときもあります。
怒って声を荒げている患者さんを前にしていると、正直、こわいなあ〜と内心胃の縮むときもあるのですが、でも気をつけていることは、「私がここにいるのは、この患者さんが何に困っているかきいて、それをよくするためだ」ということを忘れないことです。
どなり返したり、こっちも怒ったりしても、まず女性の私がパワーでかなうとは思われませんし、「患者さんが困っていることをきいて、どうしたらよくなるか考える」という目的に向かわないので、できるだけ「きくこと」「考えること」の方につとめます。そうしている内に患者さんから解決案がでてきたり、こちらがききながら、考えた改善案を提案して、「いいよ」といってもらえたときは、心の中で「はあ〜よかった」と大きく一息です。
そんな出会いをした患者さんも、何回か会っている内に笑顔で受診してくれて嬉しいときもあり、外来って不思議ですね。
今後も仕事を続ける限り、外来の荒れる日もあると思いますが、また穏やかな日に同じ患者さんと笑顔で会えることを楽しみに仕事していこうと思います。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第38号,2014年12月12日)

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(35)同病あい憐れむ(田中俊夫)

 標題のような言葉があり、結構よく使われている事は皆さんよく御存知の通りです。
しかしその場合、比喩的に“病い”と云ってはいても、本当の病いではない事が多いです。
私の場合は本当の病いであることがしばしばあり、患者さんと一緒にため息をつきあったりしています。“相手の身になって”とか、“想像力を働かせて”とかよく云われますが、そんなこと簡単に出来るわけはないよね、等と思ったりしています。
私の場合たくさんの病気をもっているものだから、同じ病気をもっている患者さんと話しをする機会も多く、まさに同病あい憐れんでいます。
私の病歴をあげてみますと、20年前の56歳の時に脳梗塞を発病し、右半身不全麻痺の後遺症が残っています。
9年前の67歳の時には、不安定狭心症を発病し、心臓カテーテルをやって、冠状動脈にステント(金属の管のようなもの)が入っています。
その4年後の71歳には、脊柱管狭窄症を発病し、歩行はますます難しくなり、立位は不安定、座位でもかなりの腰痛があります。
更に医大の三年生の49歳の時から高血圧となり、以来今日迄降圧薬の服用を続けています。
その上に糖尿病があり、一昨年の12月からは、膵臓癌の宣告を受けて抗癌剤を服用しています。 一番患者さんと共感しあうことが多いのは、腰痛です。“痛いのって嫌だよね”とか、“でも歩かないと歩けなくなっちゃうからね”とか云いあっています。
糖尿病の人とは、食事制限についての愚痴、高血圧の人とは、脳出血に対する不安、脳梗塞の人とは、“再発しないように気をつけようね”等と話します。
医者としては、患者さんに対して、客観的、科学的に説明し、治療をしていかなければならないわけですが、その上で、共感できる事は共感していければいいと考えています。
患者さんは多くの場合孤独で、不安にさいなまれている。そして、同病者に対して多少なりとも仲間意識を感じられると、少しだけでも気持が楽になると思うからです。“同病あい憐れむ”は、一種の癒しでもあるのです。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第39号,2015年6月30日)

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(36)原 点(吉廣 優子)

 もうすぐことぶき共同診療所でお世話になって2年が経とうとしている。ここに来る前は救急医療に従事しており、その頃は毎日がまさに命がけの診療だった、患者さんも私も。患者さんと語らうような状況も、時間も無かった。でも救急は医の原点だと思って猪突猛進の勢いで救急医療を行っていた。
ことぶきに来て、外来患者さんを初めて診るようになり、思わず笑顔になるようなほんわかとしたことから、感情を揺さぶられるようなことまで、色々なことがあった。
あれは、ことぶきに来て半年ほどのこと。精神疾患を抱えていて、臀部褥瘡の処置で関わりを持っていた患者さんがいた。ある日、いつもの臀部の処置を終え、いつも通り物静かに去って行って、そのまま飛び降りて亡くなった。翌日その報告を受けて、いろんな感情が湧いてきて、整理ができなくて、涙がこぼれた。静かな日常の中で何の予兆なく、人はこんなにいとも簡単に命を絶つことができるのか、理解不能だった。静かとか予兆がないとかはこちらの勝手な判断で、患者さんの中は嵐のような感情の渦だったんだろうと今になっては思うが。そして、今まで救急の現場で数多くの飛び降り患者対応をしてきて、一度も涙を流したことはなかったのに、今自分が動揺し涙を流していることも不思議に感じた。救急の現場では患者を人として認識しないことで冷静に対処ができる、そう思い、そう行動して感情を押し殺してきたんだと、そのとき気づいた。
週に一度、腰痛の注射で来てくれる患者さんがいる。最近は少し弱ってしまったが、昔は船乗りで“The ことぶき”という感じの男性だ。頑固で、男気があって、でもどこか愛嬌があって、憎めない。注射が終わると“また頼むよ”と言って、にやっと笑いながら力強く握手を交わす。その握手で“同士”のようなつながりを感じる。私は、人として満ち足りる。
こうして私はことぶきで患者さんと言葉を交わし、診療をさせてもらっている。人間同士、感情を交えながら、ときにぶつけ合いながら関わっている。救急は医の原点だった、そしてことぶきは私にとって、医療人としての原点なのかもしれない。そう思わせてくれたのは、ことぶきの患者さん達だ。
毎日DOTSに来る、高倉健似の患者さんがいる。まさに昭和の男性で、笑うことは、基本ない。その人が帰り際にちらっと私を見て、振り向かずに“ありがとな”と小声で言って帰っていく。その背中を見送りながら、“こちらこそありがとう”心の中で私はつぶやく。そんなことぶきの人たちが私は結構好きなんだ。     

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第40号,2015年12月5日)

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(37)Mr.Kopitto(浜本 和子)

 「アンニョン・・・ナイスポニーテールヘア」と、髪をアップにまとめているチャーミングな看護師に声を掛けて、処置室に入ってきた。今日もいつものように、ちょっぴり赤ら顔だけれど、元気そうな〇さんが、血糖測定・インスリン注射・内服のために毎日通ってきている。私たち看護師も「アンニョン」と笑顔で挨拶をする。私は、アンニョンの後に「こぴっとしてますか」と付け加える。
最初に私がこの〇さんと会ったのは、5・6年前、「昨日も転んじゃやった…」と膝小僧から出血、そして処置している傷の上からまた転ぶという繰り返しだった気がする。時には転び方が悪かったせいか、顔面まで傷やら青あざになっていることもあった。治りもなかなかで、この頃は、よく「もう久保山だぁ」と言っていた。久保山? なんのことかわからなかったけれど、今思えば、体調も悪く、弱気で落ち込んでいたのかも知れない。
その後、デイケアへ行く日、役所へ行く日などのスケジュールが立てられ、規則正しい生活になったせいか、小ざっぱりとした身なりになり、転ばなくなり…そしてイクセロンパッチ効果で?(と私は思っているのですが…)、英語も滑らかに、こぴっとしている様子だ。
このこぴっとという言葉は、2・3年前のNHKの‘花子とアン’という朝のドラマで使われた山梨の方言で、‘しっかり’という意味だそうだ。〇さんが山梨出身と言っていたのを思い出し、その言葉で声を掛ける。そして、若いころ自衛隊で英語を使う部署にいたとか、それで英語がお得意なんだ、なるほどね。ハングルは、と言えば、行きつけの飲み屋さんの韓国の人がやっているらしい。これもなるほど。
今日も首から下げている、スケジュール表を見ながら、「今日は役所だ、ペイデイだぁ、アイムアリッチマン!」と。周りにいる看護師たちに、「いいな、いいな」と言われ、ちょっぴり照れくさそうに処置室から出ていく。「ハヴアナイスデイ!!」と言いながら。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第41号,2016年7月27日)

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(38)ことぶきの珍客達(源川 俊介)

 診療所受付のとある男性職員です。時が経つのは早いもので、コトブキに来た頃は若手だったのですが、気付いたらおっさんになりかけています。そんな、毎日受付にいる私ですが、長年働いていると色んな患者さんがやってきます。中々個性的な方がいっぱいいらっしゃいますので、ご紹介したいと思います。心当たりのある方はあの方のことだなぁと心の中で楽しんでください^^。 最近は退院されてきてから落ち着かれたようですが、昔は「自分のことを神様と呼んでください」とすれ違う人に声をかけている人や夕方にやってきて台車に炊飯器を乗せ来院し米を炊こうとコンセントをさしたものの水を入れ忘れ諦めた人や受付に名前を書きながら「あと何番目ですか?」と若干喰いぎみに妙なアクセントで話し、待合の長椅子に横になり、あたかも自宅にいるかのようにくつろぐ人や診察日でもないのにお茶だけ飲みに来て「せっかく来たから診察してくれ!」と暇つぶしで来院する青森訛りが強い人や寝ぼけてTシャツは着ているのに何故か下半身すっぽんぽんで来院した方....などなど、印象に残っている方が来院されます。 ある意味、この医療機関らしからぬ雰囲気のアットホームな診療所だからこそ来院しやすいのかもしれませんね。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第42号,2016年12月28日)

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(39)さしすせそ(矢島 雅子)

 さしすせそ。さ(砂糖)、し(塩)、す(酢)、せ(醤油)、そ(味噌)の調味料ではありません。
今年も例年通り長野から高校生が寿町へ実習にいらっしゃいました。ワゴン車に乗り、朝に松本を出発して昼頃到着。初日は寿町案内と鈴木院長の話、夜はドヤに泊まって、翌日はヘルパーさんと共にお部屋を回らせて頂き、寿福祉プラザさんでお話を聞き、はまかぜの見学をさせていただくという濃厚な2日間。いつも快く引き受けてくださる施設のみなさまには感謝です。この場をお借りしてお礼申し上げます。
面白い高校ですよね。
さて、その高校生。診療所の診察室回りでもお手伝いをしてもらいました。
いつもオバサンばかりの診療所に高校生! 患者さんたちは大騒ぎです。いつもは見せてくれない、笑顔に緩んだ表情。サワサワした空間。
数年前、デイケアに通っているけれど、なかなか入浴の習慣が出来ず、どうしようかと思っていた方がおりました。シャワーは浴びているけれど、おそらく足下までは洗うに至らず、足にびっちり垢を携える。その時は同じ高校の先輩に当たる人に「足浴」してもらいました。足をバケツに入れ、洗います。よっぽど気持ちが良かったのでしょう。それから、デイケアの入浴プログラムに参加するようになり、定期的に湯船につかる事が出来ました。
そして、数年後の彼。デイケアは卒業し、替わりにデイサービスに手かえ品かえ、色々お誘いをしてみたものの、全く手応えなく、どうしたもんかなあ〜と思っていた矢先の高校生。前の経験に味を占めた私、またまた足浴お願いしちゃいました。
そもそも、足を洗うところまでたどり着くかなと思っていたくらいだけれど、ニコニコと足を差し出し、まあ上機嫌。デイサービスも行くよ、なんて言いだし、見学まで行くことになっちゃったんです。恐るべき高校生パワー。
若いからというだけではなく、非日常とマンツーマンの濃厚な時間とスキンシップは驚くほどのパワーを作り出し、平坦な時間軸を曲げちゃうんですね。感服です。

 さて、先ほどの「さしすせそ」。これはモテる女の“さしすせそ”
“さすが〜”“知らなかったあ”“すごいですね”“センスいいですね”“そうなんですかあ”を使いこなすと上質の女になれるらしい。高校生に負けないぞと早速実践してみるけれど、普段使い慣れていないので、台詞は棒読みだし、かえって嫌み。
やっぱり慣れないことするとダメですね。



(初出:『ことぶき共同診療所だより』第43号,2017年7月7日)

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(40)町の変化と診療所(橋本 等)

  なんだかんだと、私が診療所で働いて18〜9年になります。おもえば長きにわたってお世話になっております。
診療所の「診察室」も随分変わったような気がします。
その昔は元気な患者さんが多かった。患者さんなのにとても元気な方が沢山いらした。その元気さもそれぞれ特徴的でしたが、中には「さわぐ、叫ぶ、暴れる、喧嘩する」と、町での状態をそのまま診療所に持ち込む方も多くいらっしゃいました。
時に女性の患者さんから「ねえ、マスター」と言われたり、けんかの仲裁をすると「おい、用心棒!」と言われたり、時には診察室で酒盛りを始めてしまう方などに出て行ってもらったりと、私の立場も色々変わったものでした。
あれから約ふたむかし。いまでも、診療所には「待合室での飲酒 厳禁です!!」という貼り紙があります。
あいも変わらず個性的な患者さんはたくさんいらっしゃいますが、全体的に大人しくなってきたような気もします。
ここならではの雰囲気は綿々と残っているのでしょう。
そんな患者さんと町で会うことがあります。相変わらず管を巻いている方もいらっしゃいますが、治療を終え町で生活している方、地域のボランティアや介護ヘルパーなどになっている方、作業所で働く方などもいらっしゃいます。そのような方にお会いすると、なんだかほっとしたりします。
昨今の寿町も高齢化の波を受けています。住人の多くが年を取るとともに、その昔、労働や酒などで酷使した身体や内臓にもガタがきて、街には介護ステーションや訪問介護の事務所が増えています。
その昔は「ことぶき共同診療所」「寿町診療所」「訪問看護コスモス」くらいしかなかったこの町も、どんどん変化しています。
「ことぶき共同診療所」。 この町の患者さんと共に、怪しい雰囲気を醸し出しながら続いて行くのでしょう。きっと。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第44号,2017年12月24日)

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(41)リスペリドン(勅使川原 香世子)

「ともちゃんはまるでリスペリドンだよ〜」と、ある日、Aさんが受付の職員に言いました。リスペリドンはイライラや不安などの症状を和らげる薬です。
その日、Aさんは、朝から表情が硬く、落ち着きませんでした。診療所を出たり入ったり、診察室にあるベッドに腰かけたり、歩き回ったり。矢島さんが誘うと、モノづくりの得意なAさんは絵を描き始めました。絵をとおして会話が弾み元気になってきたAさんは、「ともちゃん牛を描いてよ」と頼みます。そして、Aさんはその牛を皆に見せながら、「ともちゃんはまるでリスペリドンだよ〜」と満面の笑みを浮かべ、お帰りになりました。
こんな風に、リスペリドン的場、リスペリドン的人間関係があちこちにあったら、世の中には薬を飲まなくても済む人がたくさんいるのではないかと感じた瞬間でした。
でも、悲しいことに、リスペリドン的場・人間関係からは程遠い社会が広がっていることも事実だと、友人であるフィリピン人カップルとの会話から、しみじみと考える瞬間もありました。二人を寿へご案内するために待ち合わせた石川町の駅で、彼らは私に会うやいなや、物にあふれ経済的に発展した日本になぜこんなにも多くの路上生活者がいるのかと、涙ながらに話し始めたのです。経済の発展が必ずしも貧困を減らすことにつながるわけではないと、実感されたようでした。貧困はフィリピンの深刻な問題であり続け、都市貧困層はスラム街や路上などで生活しています。でも、フィリピンのスラムや路上に暮らす人びとと日本の路上に生きる人びととの間には、大きな違いがあります。それは、フィリピンの場合、独りぼっちではないということです。フィリピンでは、たとえ路上であっても、多くの場合、家族単位で暮らしています。そして、近隣者同士が状況を理解しあい、助け合っているので、一日の収入が1キロの米価に満たない場合でも餓死することは少ないのです(農村地域での干ばつや病虫害などの場合は別ですが)。フィリピン人の彼らには、裕福そうな人が行き交う雑踏の中でまるでいないかのように扱われる路上に生きる人びとの姿が、あまりにも痛々しく映ったのでしょう。
ここ寿にあるリスペリドン的場、リスペリドン的人間関係を、アメーバのように広げて行きたいと、また思うのでした。

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第45号,2018年7月7日)

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(42)寿の風(越智 祥太)

 

 先日或る住民に、二十年の付き合いだもんな!と言われはっとした。二十年の変化を考えた。
若い頃は精神分析志向でもあり、じっくり一対一で伺うのが好きで、他者が入ると緊張した。同伴する生保ワーカーに敵対的だったりした。
最近は、寿には様々な立場の学ばされる支援者が多い。住民と支援者と共に話すのが楽しみになった。年を取ったこともあるだろう。
町には見知る住民が増え、意外な間柄を知り、診察室で相互影響を伺うのがまた楽しい。
隣の支援者をちらちら見ては立てつつとぼける住民に、支援者が脱力しながら親しみ溢れる掣肘を加え、笑い合う姿を見ては、この瞬間にどれだけ長い悲喜こもごもが反映しているだろうと感じ入り、贅沢な時間を頂いていると思う。
 俊夫さんは診察室で他職員と、患者さんと支援者と大勢で歓談するのが好きだった。後ろで聴いていたら、いつまで経っても本題に入らない。雑談が本題と悟る頃には、せかちぼ(せっかちんぼうと長く言うのも耐えられないという山本周五郎の洒落)なので早々に退いたのを思い出す。俊夫さんはさりげなくもう一つの共同体を現していたのだ。今ならオープンダイアローグ的、と評されるだろう。
飲酒の直面化をしては却って酒溺され落ち込み、一方飲ん兵衛の俊夫さんは酒に触れないのに患者さんが断酒している。何故だ。
飲んで荒れて見せる住民に、退場〜!(そりゃそうだ)また明日〜!(ええっ)と笑い合う職員。矢島さんの口癖、よってたかって行っちゃいますから、もれなく他の職員もついて来ますから。
目が悪い住民の部屋の多種多量な虫退治を、きゃあきゃあ言いながらよってたかってもれなく行っては住民と笑い合う、職種が分からない職種を越えた職員。これか!とセクト意識の目から鱗が落ちた。多職種連携訪問を自然に先取り、と今なら評されるだろう。
あちこちで話したせいか、最近矢島さんの口癖が聞かれないと思うと、たまに他職員から聞かれて面白いと思う。
患者さんがとても増え、寿医療班の延長のような運動体から、医療機関に堅く変わるところもあるが、今はそこに外の住民や支援者が、俊夫さんの関わりを思い出させてくれる風を運んでくれる。
寿の長い支援者が大切にしてきたもの、新たな流入者が心惹かれるものも、きっと俊夫さんが大切にしたものと重なるだろう。
受け継がれ、拡がることを願っている。


(初出:『ことぶき共同診療所だより』第46号,2018年12月22日)

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(43)どん底の通過点(熊倉 陽介)

 ことぶき町に勤めはじめて9年目になりました。初期研修医を終えて、精神科医になったと同時にことぶきで週に1日働きはじめたので、自分の精神科医歴と「ことぶき歴」はちょうど同じです。ここで多くの人と話し、医者として、人として、多くのことを教えてもらっています。テレビを見なくても、それどころか直接聴かなくても、ベイスターズが最近勝っているのか負けているのか、外来にくるおっちゃん達の醸し出す空気だけでわかるようになってきました。
少なくない人が亡くなりました。酒を飲まなくなって、ああ、こういうふうに人は回復していくのだなぁと、教えてもらっているように思えていた人が、癌になって早々に亡くなっていくことも何度かありました。山下公園で、遺体で見つかった人もいました。最近見かけないなあと思っていたら、どうやら自殺したらしい連絡を受けた人もいました。
何も言わずいなくなっていく人もいました。怒って去っていった人もいました。おそらくは、自分自身でも気がつかないうちにこの人を傷付けたから立ち去っていったのではないかと、反省するようなこともありました。
長いお勤めに出た人もいました。路上生活に戻ってしまった人もいました。
長い入院から帰って来た人もいました。
なんとかかんとか生きている人も、たくさんいます。
この診療所の外来にはじめて訪れるということは、ほとんどの人にとって、人生の中での幸せな出来事ではないだろうと思います。堰を切ったように過去の壮絶なつらい体験を話す人もいれば、何も語れない人もいます。
この街の入り口にある診察室にたどり着いて、抱えた不幸のほんの一部を口にするこの瞬間が、この人にとっての人生のどん底であって欲しいといつも願います。これ以上に失うことができるものが何一つ見つからないのだから、せめて今日この瞬間よりは、この人の今後の暮らしがおだやかなものであって欲しいと思います。
立ち去り、あるいは、亡くなっていった人達にとっても、この診察室に来ていた時がどん底であるようにと祈ります。               

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第47号,2019年7月19日)

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(44)まだまだ迷い悩む日々(中川 育子)

 鍼灸師として診療所に来させていただいてから、決して短くない年月を経ているにも関わらず、まだまだ迷い悩む日々を過ごしております。  一番の悩みは、辛い症状がなかなか治せないという自分の力量の事なのですが(勉強不足を棚に上げております)、そればかりではないのです。
 例えば今日は患者さんの言っている事が全く分かりませんでした。声は小さいし、言葉もはっきりせず、それよりも私の耳に原因があるのかもしれません。こういう時、一言でも聞き取れたら、最大限の想像力を発揮して、「あ〜、00なんですね」なんて言ってみますが、「違う、違う」と言われると、心の中は「ガーン」となり、一旦治療をストップして口元まで寄って行き、「真実」を知ろうとしてしまったりします。  分からなくても治療を続けた方がいいのか。はたまたちゃんと会話をした方がいいのか。「この人はどちらが望みなのか?」となります。
 またある時は、「今日の具合はいかがですか?」という私の一言目に、「どうなんでしょう?」と質問返しされ、「特に辛い所は無かったんですね」と言うと、「そんな事はない」と言われ、ここでも最大限の想像力を発揮して、「腰が硬いから痛かったかな?」と言うと、「痛くない」と言われ、心の中では「違うのか!」とつっこみを入れながらも、自分の見立て違いにがっかりしたりします。  
しかしながら、このような会話の中にも、治療をしていく上でのヒントがあるのです。言っている事が分からない患者さんは、声が小さく、話しづらいという所から、元気の素が不足しているのかもしれません。それならば、エネルギーチャージの治療をしてみようと考えます。  質問返しの患者さんは、自分の分からない不調の原因を探して欲しい、もしくは疲れているのでリラックスしたいだけなのかもしれないと考えてみたりします。
そして無言という会話の人には、こちらのアンテナを張り巡らせて、お腹の張り、脈、身体の緊張、呼吸の深さなどで判断します。他にも、どこかへ行ったと聞けば、「腰の痛みは少しいいのかな?」と考えたり、00を食べたと聞けば、食べたもの味でストレスがたまっているのか、緊張が強いのかという事が少し分かります。  
昔ばなしを聞いて、今までの苦労やその人柄を知るのも治療の上での無駄になるとは思っていません。そんな話に触れて、患者さんとの間に温かいものを感じる事があります。心も身体も温かくなって帰っていただく。そんな風な日々になれればいいなと思っています。               

(初出:『ことぶき共同診療所だより』第48号,2019年12月12日)

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